京都や奈良などの寺社の多くが数百円の拝観料を設定していますが、その算出根拠は拝観者にはまったく関わりなく別のところで決められているようです。
貴重な文化財にお目にかかる機会を与えてくれるのですから何も「無料に」とは言いませんが、 一方的に徴収するからには、少なくとも収支報告くらいはすべきですし、そうできないのであれば、お賽銭程度の一律100円でもしたほうが納得がいくというものです。
夫婦そろってとくに京都・奈良がお気に入りで、この10年あまり毎年春・秋いずれかの季節に必ずといっていいほど旅します。
そうした中でいつも気になるのか゛行く先々の寺社で求められる拝観料です。
最初の何年かは疑問にも思わず、求められるままに受付窓口で拝観料を支払って見学させていただいたものですが、何回も訪ねるにつれて少しづつ疑問が頭をもたげてきました。
最近では、以前見学したことのある神社仏閣で拝観料が要求される区域へは立ち寄らないことにしています。
もっとも、神仏に関心の深い家内は、いままで通り拝観料を捧げて入館していますが....
かくいう私とて、二つとない古都の貴重な文化財を、国民の「権利として無料で拝見させるべき」という無茶な主張をするつもりは毛頭ありません。
せめて、一年に一度どの位の拝観料が寄せられ、そのうち文化財や周辺環境の整備・維持保守にどう充当されたのかぐらいは、法の定めの有るなしに関わらず公開して謝辞を述べるぐらい姿勢があってもいいのではないでしょうか?
この国の歴史の証を預かるとともに、それぞれの時代の見識や文化を率いてきたという寺社に、その程度の務めはある意味で最低限の社会的責務だと思うのですが、こんな風に考えるのは私だけでしょうか。
また、参観者に拝観料を求めるからには、「何がしかの公的根拠」があってしかるべきではないでしょうか?
歴史的遺産を修復・維持するためには、特殊技能や希少な材料が必要なことに異論はありませんが、何の理由説明もないまま無条件で数百円単位の拝観料を求められるのには、さすがに合点が行きません。
実際、このところ政府が頼みとしている海外からの観光客とりわけ明らかに欧米からきたと思われる観光客は、私が見る限り拝観料を求められる区域への立ち入りを明らかに敬遠しています。
日本語を理解しない彼らへの説明不足という背景もあるでしょうが、彼らにはおよそ参観料・拝観料という概念すら理解できないのだろうと思います。
京都市東山、哲学の道を少し東に行ったところに位置する観光スポット法然院を訪ねたとき、険しい山肌に広がる竹林を今でいうバックパックで上り下りを楽しむ明らかに西欧系とわかる若い男性を目撃したものです。
合理性を尊ぶ西欧の思考とは相容れないのでしょう。
例えば、お気に入りで京都へ行くたび必ず初日に訪れる清水寺の拝観料はずっとこのかた300円。
京都でこの拝観料は最も安い部類ですが、それでも桜や紅葉の季節ともなれば一日5000人をゆうに超える拝観者で賑わいます。
京都駅に近いあの東寺は500円、このあたりが京都・奈良で一般的な拝観料です。
しかし、大原で一回だけ抹茶を振る舞っていただいたことがありますが、ほとんどは内部見学だけでこの金額。
何の根拠もなく一方的に求められる拝観料、いかにも理不尽ですがわたしは100円程度に設定すべきだといつも感じています。
新興国米国は別として、西欧・北欧、いくつかの国を訪ねる機会がありましたが、日本以外で参観料・拝観料の類の料金を求められたことは一度もありません。
いまの政権は、観光立国を看板にホテル・旅館などに対する規制緩和に躍起ですが、もっと根本的な部分にメスを入れる必要があると思っています。